2級

前ページでいったようにこのステージまでくる人はそんなに多くはありません。ただビジネスでそこそこストレス無く使うためにはこのあたりが最低ラインだと思います。一番最初に言いましたけど、TOEIC900点を最低ラインとしてビジネスで使える英語を目指すとしたのがここです。

  • TOEICのスコアは800〜900以上。日系の企業にいれば、出来る部類に位置付けられます。日系企業で仕事で使う分にはそこそこ何とかなります。しかし、目標とした900点も超えた、じゃあそれでばっちり?というと殆どの経験者がNOといいます。まだとどいていない人は、900点を越えたレベルならもう十分な技量があるだろうと想像します。でも実際に900点を越えたばかりくらいの人に聞いて見ると、ほぼ間違いなく「いやぁ〜、まだまだですね〜」と言われます。
  • 傍から見ればそつなく会話をしているようでも、本人はまだ無理をしています。無理して話題を探し、無理をして話そうとしています。ただ聞いているだけではいけないと思い、無理をしてこちらからOutputをしようとします。だから疲れます。この気負いは相手にも伝わります。業務で目的のはっきりした会話はむしろ容易です。目的も無くしゃべる"日常会話"のほうが難しく感じます。しっくりこないと思います。(これが私が以前、「せめて日常会話位だけでも」というよく聞く発言にコメントした所以です)
  • この時期には英語文化の中にどっぷりと放り出されると、まだかなりタフです。でも逆に一番その効果もある頃だと思います。費用対効果でいえば、留学とかもこのあたりからと考えるべきだと私は思います。殆どの人はこれより低いレベル(3〜4級)で行きたがりますが、現地に入った途端小さな日本人グループの中に逃げ込んでしまい数年間何してきたの?という人がとても多いです。現地にいくだけで自然に上達すると信じていく人が多いですからね。
  • この級の後半にいたる頃には英語や欧米に対してなんとなく抱いていた羨望や憧れは大体消えているはずです。欧米文化の良い部分も嫌な部分も両方経験し、それら全体を含めて「違い」という認識が強くなっているはずです。これはビジネスで英語を使う上ではとても大事なことだと思います。英語環境といういわば相手の土俵に立って勝負(?)するわけですからね。気負いも気後れも不要です、というか邪魔です。
  • Inputはだいぶできるようになりますが、まだ幅がありません。特にアメリカ英語だけでここまできた人は、それ以外のアクセントに出くわすと途端に理解度ががた落ちになります。JapanTimesや日本人向けの教材だけ読んできた人は、欧米の読み物に取り組むと途端に語感を失います。
  • 書くことを3級・4級から始めている人はかなり書けるようになっています。話すことと同じで、Outputは始めれば上達は早いですからね。そして堪能に書けるようになれば、それに応じて複雑な構文のスピーキングもだんだんこなせるようになっていきます。書くということは通常は話す場合よりもよりこなれた、より正しい、時に複雑な構文を多用します。それがスピーキングにも比例して貢献し始めるわけです。
  • さてこの頃の私は、、、実はどん底でした:
    • 今の外資に入ったのがちょうど2級の最初頃ではと思います。何とかなるだろうと不用意な自信で入社したのが大間違い。こてこてのアメリカの会社で正直かなり苦労した時期です。読み書きは100%英語、話す聞くは当時50%くらいは英語。オーストラリア、イギリス、アメリカ、ニュージーランド、台湾、ASEAN諸国との人々とにビジネスに私の英語はへなへなでした。
    • 2級前半の私にはまったく持って対応不能の事態でした。もともと無口な私はますます口を貝のように閉ざしていきます。しかし仕事ですのでしょうがありません。正直、最初の2〜3年はこまったなぁ〜でした。現在でも中途半端な自信をもって入社してきた人がよく見せる症状です。Communicationのスピードも量も自分の処理能力をかなり超えていますからまったくついていけません。口を開く間もありません。でもそれが実力なのです。
    • こういう状況で業務外での学習にもかなり迷いや抵抗があった時期でしたが、幸いヒヤリングマラソンのリスニング、映画、速読だけは続けていました、というかそれしかしていませんでした。週に2日通っていたプライベートレッスンがなんともリラックスできる時間だと感じていました。
    • それから3年くらい経った頃でしょうか。2級後半の頃です。業務の知識がだいぶ助けとなり少しずつ苦労が報われ始めます。特にOutputはこのあたりからかなり顕著に上達し始めます。今までのInputが糧となり、先輩の日本人を超えるレベルのリーディングスピードや語彙力を感じ始めたのもこの頃です。
    • 思えばこの2級が私にとっては一番つらい、しかし大事な山場だったといえるでしょう。